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Think outside the box

MAKE JAPAN GREAT AGAIN

日本の衰退戦略としてのTOEFL導入

アベノミクス

円高是正・デフレ脱却については正しい方向に向かっている安倍政権ですが、成長戦略に関しては懸念が強まっています。成長させるつもりの方策が、逆に日本を衰退に導くのでは、という懸念です。その具体例の一つが、各所で話題になっている英語重視教育です。

大学入試や卒業資格にTOEFL等を義務付けることのナンセンスさについては既に多くの英語教育の専門家が指摘しています(下のリンク先記事や記事中からリンクされている記事をご覧ください)。[1]

確かに、日本人の英語運用能力は決して高いとは言えませんが、見落としてはならないのは、これが、日本の強みとして外国人も評価する、裾野が広く厚みのある技術力や文化的独自性の高さと表裏一体の関係にあることです。英語能力の向上に時間と労力を割けば、その代償として日本の強みが失われることが避けられないでしょう。

日本人の英語能力が低い理由は、

  1. 英語と日本語が大きく異なる言語(言語距離が離れている)であるため、英語と言語距離が近い言語話者に比べて習得に時間を要する[2]。
  2. 言語の習得には継続的に使用(特にアウトプット)することが極めて重要だが、日本は文化や経済面での対外依存度が低いため、英語を必要とする機会が他国に比べて少ない。

の二つが主なものとされています。2.の対外依存度の指標として2010年の輸出の対GDP比(出所:世界銀行)を比べると、世界全体では28%ですが、日本は約1/2の15%に過ぎず、データのある172の国・地域のうち下から13番目です。日本より低い主要国はブラジル(11%)とアメリカ(13%)しかありません。日本人の英語力の低さは、「人口・経済規模が大きい→文化や経済が自己完結的になる(閉じた経済)→外国語の必要性が乏しい」という必然的結果なのです(アメリカ人の外国語能力の低さも有名です)。

この必然を無視して英語習得に時間と労力を投入した時の副作用は容易に想像できます。これまで、日本人は他国人に比べて英語習得に割く労力や外国情報と接する時間が少なくて済んでいために、その労力・時間を独自の文化の形成や技術開発に充てることができていました。ですから、英語が不要な人にまで英語習得を強要すれば、強みである独自の文化や技術の発展が遅れることは避けられないでしょう。「一方を追求すれば他方を犠牲にせざるを得ない」トレードオフの問題です。(英語教育改革が不要と主張しているわけではありません。)

経営戦略では、「自分が不利なフィールドは避け、自分の得意技で戦う」ことが鉄則ですが、英語重視戦略は「自分の得意技を磨くことは二の次にして、英語の達者な外国人や母語話者が多数ひしめく不利なフィールドに遅れて参入する」という必敗の戦略、あるいは成長戦略に見せかけた衰亡化戦略としか言いようがありません。

鋼の錬金術師』の名台詞「何かを得るためには何かを失わなければならない」が思い出されますが、得るもの=失うもの(等価交換)ならまだしも、得るもの(英語力)に比べて失うもの(独自の強み)があまりに大きすぎます。

日本を韓国化する成長戦略の危険性」に続きます。

 

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[1]日本の英語教育については鈴木孝夫の指摘が的を射ています。このような専門家よりも素人の思い付きが罷り通るようでは日本の将来に楽観的になれません。

本当に英語を必要とするのは、仕事の成否が英語力の有無に左右されるような人で、こういう人たちは日本人のごく一部です。よく指摘されるような、英語ができないと国際競争に勝ち残れないという警鐘は、政治家や一部の官僚、一部の研究者など政治や経済、学問の最前線で国際社会の矢面に立たなければならない人たちに向けられているのであって、全国民を対象にした話ではありません。にもかかわらず、これからの日本人は英語くらい話せるようになるべきだ、といつのまにか国民全体に問題が責任転嫁されてしまった。だから英語を必要としない人にまで義務教育における必修で学習を強制した反面、本当に高度の英語力が求められる人材がいつまでも育たないという困った状況になっているのです。

日本人はなぜ英語ができないか (岩波新書)

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あなたは英語で戦えますか: 国際英語とは自分英語である

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[2]10年以上前のことですが、スイス航空のスチュワーデス(CA)が1人で独・仏・英語で機内アナウンスしていたことを思い出しました。