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Think outside the box

MAKE JAPAN GREAT AGAIN

子供を産まないのは自由だが、対価は支払わなければならない

5/9の記事【女性手帳バッシャーが見たくない「不都合な真実」】では説明できなかった、もう一つの「不都合な真実」についてです。

子供を産む・産まないが個人の自由であり、国家が干渉・介入すべきことではないのはその通りなのですが、それなら、出生率を引き下げている(と推測される)制度の抜本改革も政府に要求しなければなりません。

ところで、公的年金制度への不信感には根強いものがあるようですが、特に若い世代に多いのが、先行世代に比べて後の世代の給付額が拠出した保険料に比べて少なくなる、世代間の不公平です。厚生労働省の資料(平成21年財政検証結果レポート)によると、生まれた年が1940年の人は保険料に対して5.1倍の給付を受けられますが、1965年は2.7倍、1990年以降では2.3倍に低下してしまいます。これを「若者が高齢者に搾取されている」証拠として、世代間闘争を煽る人も一部にいます。

しかし、日本の公的年金制度が、現役世代が拠出する保険料によって高齢者世代への給付が賄われる賦課方式を基本としていることを考慮すると、このような理解が正しくないことは明らかです*1。賦課方式とは、「親は子を育て、親が年老いたら成長した子(大人)が親を養う」、という家族内所得移転のうち、「成長した子が老親を養う」部分を取り出して社会化したものです*2。家族内で親子で公平・不公平を論じるなら、「幼少時に親から受けた便益(を金銭換算したもの)」と「成長後に親に支払う金額」を比較することになるはずです。

簡単のために、「幼少時に親から受けた便益(を金銭換算したもの)」と「成長後に親に支払う金額」をそれぞれ1人当たり1とします。これなら、どの世代でも親子間での損得は発生しません。しかし、それぞれを保険料拠出と年金給付に置き換えて、上述のように世代間で比較すると、格差(損得)が生じているように見えてきます。

下図では、世代Ⅰの出生率は4(全員が結婚して子供は夫婦4人)、世代Ⅱの出生率は2(同2人)です。世代Ⅰが受け取る給付は4人の子供から各1なので合計4ですが、世代Ⅱは2人しか子供がいないので、給付は2になります。給付の4と2を比べると世代間格差があるように見えるのですが、本当に比べるべきは子育て負担と子供からの給付なので、実際には世代ⅠがⅡに比べて「負担に比べて給付が多い」ことにはなっていません。世代Ⅰは世代Ⅱの2倍の子育て負担をしたので、給付も2倍になっているだけです。世代間格差とは、比べる意味のないものを比べてしまったことによる錯覚に過ぎません。

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問題は、子供のいない人が無視できないほど増加した場合です。年金制度前の家族内所得移転なら、子供がいない人は子育て負担も子供からの受け取りも当然0です。ところが、年金制度があると、子育て負担は0なのに、老後に他人の子供から給付を受け取れます。子育てした対価として受け取るべき年金を、本来は無関係な「保険料拠出=親への所得移転」とリンクさせてしまうという制度設計のミスにより、子供のいない人は「負担無しに給付を受けられる」フリーライダーになっているのです。

上図の世代Ⅳでは、1/3に子供がいないため(出生率は1.33:日本の現在と将来推計値とほぼ同水準)、子供たちから受け取る保険料を世代全員で分けると、1人当たり2/3にしかなりません。負担に比べた給付が減るのは、先行世代のためではなく、同世代の子供のいない人がただ乗りしているためです。一見すると世代間不公平のようですが、その実は世代内不公平ということです。(闘争するなら世代間ではなく世代内で)

年金を子供を産む・産まないの重要な判断材料にする人は多くないでしょうが、意識しなくても影響されて(nudge)いることがほぼ確実なことは、諸外国の経験から判明しています。したがって、出生率低下の責任を政府に求めるのであれば、出産のディスインセンティブ(←国家の干渉・介入)になっている年金制度の抜本改革、すなわち子供がいない人には老後の給付を減らすか、負担を増やす(→他人の子供の養育コストの分担 and/or 老後の給付の事前積み立て)かによりただ乗りを防ぐことを要求しなければなりません。

しかしながら、出生率引き上げに政府の積極的な関与を要求する人々が、このような主張を展開する可能性は低そうです。少子化問題に関して政府を批判する人は大きく二分できます。

  1. 政府が保育所整備などに積極的に取り組んで出産を後押しするべき
  2. 自分の人生に子供は不要なので、政府は出産についていちいち言うな(情報提供されるだけでも鬱陶しい)

政府批判という点では一致・共闘している両者ですが、1が「政府は子供のいない人からもっと金を徴収せよ」と主張すると、2との共闘関係が崩れて内ゲバになってしまうからです。

個人的には、政府が先手を打って問題提起することで、「政府 vs 1&2」の構図を「政府&1 vs 2」に変化させ、政府と1の間で建設的な議論を進めてもらいたいのですが、結局は誰もが触れたくないために、問題はないことにされ、出生率の引き下げ要因として残り続けるのでしょう。*3

少子化対策としての年金改革(前回記事の補足)】に続く。

 

参考

*1:厚生年金制度は当初、現役時代に積み立てた保険料を退職後に取り崩す積立制度でしたが、なし崩し的に賦課方式にシフトしてしまいました。平成21年財政検証によると、2105年度までの給付1660兆円(運用利回りで現在価値に換算)のうち、積立金から得られる額は140兆円(8%)に過ぎず、ほとんど賦課方式と言うことができます。

*2:子ども手当に対しては「子育てが親の役割という意識を希薄化させる」「家族を崩壊させる」という批判がありましたが、それなら年金に対しても「老親を養う意識を希薄化させる」「家族を崩壊させる」と批判しなければ筋が通りません。子育てを軽視し、家庭内に押し込めようとする意識の表れでしょう。

*3:某大物国会議員は、私のこの説明に対して「産みたくても産めない人に要求することは難しい」と否定的反応を示しました。フリーライドでは子育て負担の有無(≒子供がいる・いない)が問題であって、産める・産めないの能力が無関係であることは明らかなのですが、このように反論してくる人は他にも多くいました。おそらく、この問題に触れたくないという無意識によって論理力が歪められてしまうのでしょう。また、フリーライドは医療、介護など年金制度にとどまらないことも指摘しておきます。