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Think outside the box

MAKE JAPAN GREAT AGAIN

NHK『メイド・イン・ジャパン 逆襲のシナリオⅡ』が見落とした1993年のミッドウェイ

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5/11・12日にNHKスペシャルで『メイド・イン・ジャパン 逆襲のシナリオⅡ』を放送していました。さすがに企業への取材はしっかりしたものでしたが、残念だったのは、1980年代に世界の頂点に立った日本の製造業が90年代に入ると一転して大苦戦することになった原因を深く究明することなく、「日本型経営の再評価」や「ブランド戦略」、「国の産業支援政策」といったありきたりのシナリオの提示で終わってしまったことです。

日本企業の経営戦略に問題があったことに異論はありませんが、あまりにも急な「戦況悪化」や、なぜ自ら競争力を弱めてしまう経営戦略に走ってしまったのか、という原因まで遡って究明しなければ、同じ過ちを繰り返すことになりかねません。

製造業の大苦戦と「失われた20年」については【「失われた20年」の本質は円高・製造業不況】で検証済みではありますが、さらに追加的検証を行います。

日本の1人当たり実質GDPのグラフからは、石油危機(73年)とバブル崩壊(90~91年)を境に成長トレンドが下方屈曲していることが見て取れます(グラフの縦軸は対数目盛なので、傾きが伸び率を表す)。

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ところが、製造業の生産性上昇率はバブル崩壊後もほとんど低下していません。73年前後では、1人当たり実質GDP成長率と製造業の生産性上昇率はどちらも0.41倍に減速しましたが、91年前後では、生産性上昇率の減速が0.77倍にとどまっているのに対して、1人当たり実質GDP成長率は0.18倍に急減速しています。f:id:prof_nemuro:20130518220831g:plain

このことは、製造業の生産性(≒技術力)上昇が減速したから20年が失われたのではなく、生産性上昇が所得増加につながることを妨げる要因が作用したことによって失われたことを示しています。(追記:円高による実質成長率の押し下げがなければ、現在の実質GDPは約1.5倍になっていたと【「20年を失って」いなければ今でも世界第二の経済大国】で推計しています。)

番組では、日本の技術力と高品質が海外市場で高く評価されているにもかかわらず、売り上げにつながらない理由として、消費者ニーズと合致しない商品開発やブランド力の不足を挙げていましたが、それよりも、円高のために「高品質だが高過ぎて売れない」ことのほうがはるかに重要です。最近では生産の国内回帰の動きがあることも指摘していましたが、それこそ円安の賜物でしょう。

日本企業の強みであった「現場力」を失わせた経営戦略の失敗も、企業の対応限度を超えた円高に主因があると考えられます。行き詰った経営者が怪しげな経営コンサルタントM資金に引っかかってしまうように、大手企業経営者も「日本型経営を捨ててアメリカ型経営を採用しなければ生き残れない」という日本中を覆った空気に流されてしまったということです。まさに「貧すれば鈍する」です。

ところが、番組では第2回で半導体産業が韓国の後塵を拝したことに触れた際に、円高・ウォン安について十数秒申し訳程度にコメントするにとどまっていました。これでは、日本企業の経営戦略が失敗だったことは分かっても、なぜ失敗戦略を採用してしまったのか、という根源的問題については分からずじまいです。

とはいえ、番組内にそのヒントがなかったわけではありません。日米貿易摩擦において、日本がアメリカに半導体と自動車で自主規制を呑まされたことについて、ゲストの通産省OBが 「アメリカを決定的に怒らせないような範囲で政策を考えないといけない」状況だったと証言していました。「泣く子と地頭には勝てぬ」という言葉がありますが、日本政府は地頭(アメリカ)の圧力に日本企業を従わせる政策を採用し続けたということです。

アメリカが個別産業をピンポイントで叩いている間は耐えられた日本の製造業ですが、経済再建・日米再逆転を掲げて93年に就任したクリントン大統領が日本の全製造業を一挙に叩く無差別攻撃=円高誘導に踏み切ってからは総崩れとなり、失ったシェアを韓国・台湾・中国に奪われたこともあって、本格的逆襲の糸口をつかめないまま今日に至っています(2005~07年には若干の態勢立て直しはありましたが)。93年の円高誘導は、大東亜戦争におけるミッドウェイ海戦のようなターニングポイントだったということです。*1

日本の製造業が総崩れになったにもかかわらず、日本政府はアメリカを怒らせないために、円安自主規制を続けました。日本政府は製造業をアメリカに生贄として差し出したわけです。アメリカに「売られた」企業の経営者が、「生き残るためにはアメリカ型経営に転換するしかない」と考えてしまったとしても仕方ありません。

日本政府の問題は、1995年にベンツェンに替わってルービンが財務長官に就任したことで、アメリカの通貨政策が根本的に転換したことに気付かなかったことです。

日本と競合する自動車などの産業ではドル安円高が有効な戦術でしたが、日本に対して圧倒的優位にある情報通信産業や、半導体でもメモリからマイクロプロセッサに主戦場が移れば、ドル安円高の追い風は不要であり、むしろ、ドル高予想で全世界から投資資金が流入する(→金利低下)効果のほうが大です。

ところが、日本政府はアメリカがIT革命&ドル高政策に転換した後も勝手に円買い介入などの円安自主規制を続け、挙句の果てに自らデフレに落ち込んでしまいました(円安かデフレスパイラルか、日本の分岐点だった1998年夏)。いつになったら、日本人はこの失敗の本質を直視できるのでしょうか。

追記:「「20年を失って」いなければ今でも世界第二の経済大国」に続きます。

 

参考

 

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*1:93年に宮澤総理大臣とクリントン大統領の日米首脳会談が行われましたが、日本の一部マスコミは、「経済通の宮澤さんが経験の浅いクリントン大統領に経済政策を教えてあげたら」と、能天気極まりないことを書いていました。アメリカを恐れる一方で見くびっていた日本の自滅は必然だったと言えるでしょう。