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日本銀行批判の変遷と検証

1990年代初頭のバブル崩壊後、日本銀行が金融緩和に消極的だったことが日本経済が低成長に陥った原因とする日銀批判が続いています。代表格である現・日銀副総裁の岩田規久男を例に、批判の内容を今日の目から検証します。

まずはデフレ突入前の1990年代前半です。

そして90年代にバブルが崩壊しました。

あるときわたしの上智大学の教え子、というよりもわたしが教わったというべきなのかもしれませんが、大和総研で働いていた岡田靖さんが1枚のグラフをもってきてわたしにこう言いました。「岩田先生、マネーサプライがこんなに落ちています。日銀はこれを放置しているんですよ」。

岡田さんがもってきたグラフを見ると、マネーサプライが1930年代のアメリカそっくりに急激に減少しているのです。「これを放置しているなんてけしからん!」と思い、1992年9月に、週刊東洋経済に「『日銀理論』を放棄せよ」を寄稿しました。

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バブル期の借入と設備投資ブームは高度成長期並みの成長率が続かなければ正当化できない水準であり、持続不能でした。そのため、バブルが崩壊すればマネーや信用の伸び率急低下は必然であり、金融緩和で止めることはほぼ不可能です。利下げペースが遅すぎたとは言えますが、ゼロ金利にしてマネタリーベースを増やしてもマネーサプライの伸び率急低下は不可避だったでしょう*1

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2008年9月のリーマンショック後に大規模な量的緩和に踏み切ったアメリカでも、信用(credit market debt)の伸び率は日本と酷似した推移を示しています。マネーサプライの伸び率を維持せよ、というのは無理な注文だったということです。

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この頃の日銀批判は「マネーサプライ=マネタリーベース×貨幣乗数なので、日銀がマネタリーベースを目標にして増やせば(量的緩和すれば)マネーサプライが増え、景気が拡大する」というものでした。

しかし、マネーサプライの大半を占める預金を供給する銀行は、日銀から借りたマネタリーベースを“貨幣乗数-1”倍に拡大変換して預金を創造しているのではありません。預金創造の事前にマネタリーベースは不要です*2。なので、マネタリーベース増加は預金増加を意味しません。実際、マネタリーベースとマネーサプライの伸び率は乖離を続け、マネタリーベースを増やせばマネーサプライも比例して増える、という主張は否定されました。

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大恐慌では1929年10月の株価大暴落の直後から物価が急落しましたが、1990年の日本やリーマンショック後の各国ではマネーや信用の伸び率が急低下してもデフレには陥っていないことも重要です。 

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日銀批判派は「アメリカがリーマンショック後にデフレ転落を回避できたのは量的緩和の効果」と主張しますが、それを言うなら金融緩和が “too little, too late”だった1990年代初頭の日本もデフレには転落していません。日本がデフレに陥ったのは、名目賃金がマイナスになった1998年以降です。

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長期的な予想インフレ率は急変しないことや、賃金が硬直的・粘着的であることがデフレ転落の歯止めになっていると考えられます。日本は自らこの歯止めを外してデフレに転落したわけですが、これらをすべて日銀の責任に帰するのは妥当ではないでしょう*3

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スイスは緩やかなデフレに陥っていますが、スイスフラン高が主因であることは明らかです。金融緩和が“too littl, too late”だったという批判も当たりません。スイスと同じことが90年代後半の日本で起こったと考えればデフレの説明がつくのですが*4

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1990年代末のデフレ転落とゼロ金利政策を受けて、日銀批判の根拠は貨幣乗数から超過準備の金融緩和効果に進化しました。岩田は小宮隆太郎+日本経済研究センター編『金融政策論議の争点』で、 

[p.397]

超過準備がマネタリーベースとして機能し、金融緩和効果を発揮することは、大不況期のアメリカに典型的にみられる。<中略>連銀は36年半ばから38年初めにかけて銀行の超過準備を解消し、金融市場を正常化しようとして必要準備率を引き上げ、準備供給の増加ペースを落とした。これにより超過準備が急激に減少すると、38年にはそれまでのインフレから一転してマイナス1.3%(GNPデフレーター)のデフレになり、実質GDPも急激に減少し、激しい景気後退を招いた。しかし38年半ばから必要準備率が再び引き下げられ、超過準備が増えるにつれてデフレは再び収束し、実質GDPも急激に増加に転じたのである。

と、大恐慌のアメリカを例に、超過準備が景気を左右すると主張しています。「日銀当座預金残高を増やすことには予想に働きかける金融緩和効果がある」という主張には歴史的根拠があるということです。

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しかし、近年の研究では、1937-38年の景気後退の主因は緊縮財政で、金融面では準備率引き上げに伴う超過準備減少よりも、財務省が金を不胎化したためにマネタリーベースの増加が止まったことが重視されています。(関連記事【デフレ不況脱却途上における財政引き締めのインパクト:1937~38年の景気後退】)

定期預金の場合、預金準備率は1936年8月から37年5月にかけて3%→6%に引き上げられた後、38年4月に5%に引き下げられ、41年11月には再び6%に引き上げられています。小幅な預金準備率の引き下げが景気回復を導いたと考えるよりも、財政政策の転換と不胎化の停止が効いたと考えるのが妥当でしょう。

予想に働きかけるとはプラセボ効果のようなものなので、日銀当座預金残高の激増がインフレ予想を実現させる可能性はありますが、問題はその程度です。スイスではSNBの当座預金残高激増から2年近く経ちますが、緩やかなデフレが続いています。割高な為替レートがインフレを抑制しているためです。

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日本と世界経済の経験からは、以下のようにまとめられます。

  • バブル崩壊直後は大規模な量的緩和でもマネーや信用の伸び率急低下を止められない。
  • バブル崩壊がデフレにつながるわけではない→アメリカは量的緩和しなくてもデフレを回避していた可能性大。
  • 日本とスイスでは割高な為替レートや賃下げが緩やかなデフレの原因。
  • 割高な為替レートや賃下げの原因がすべてマネタリーベース不足とは言えない。
  • 1937-38年のアメリカの景気後退は超過準備減少が原因ではない。
  • 近年の日米欧の経験からは、超過準備に明確な景気刺激効果は認められない。
  • 現代の金融・銀行制度では、預金創造の事前にマネタリーベースは不要だが、日銀批判派は「マネタリーベースの増減が経済変数の変化の源」と考えている(マネタリーベース万能主義)。

デフレの原因を考慮すれば、マネタリーベースや超過準備額を増やすよりも確実なデフレ不況脱却策(円安+賃上げ)が見つかります。もっとも、これは政府の役割なので、政府批判したくない人・政府の責任を他に転嫁したい人・とにかく日銀を批判したい人は黙殺するでしょうが。

日銀理論は地動説、世界標準理論は天動説】に続く。

本当に日本銀行が悪いのか

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金融政策論議の争点―日銀批判とその反論

金融政策論議の争点―日銀批判とその反論

*1:急低下を若干弱められた程度ということ。

*2:貨幣乗数“money multiplier”という用語は、預金創造の事前にマネタリーベースが存在することを仮定していますが、実際には事前に必要なマネタリーベースはゼロなので、貨幣乗数を掛けてもマネーサプライもゼロになってしまいます。預金創造の事後に現金引き出しや所要準備を積むためにマネタリーベースの調達が必要になるのです。そのため、貨幣乗数という用語は因果関係を逆に捉えた不適切なものとして使用禁止を唱える経済学者もいます。

*3:プラザ合意や1995年の超円高後には、日本の競争力を維持するためには日本の高コスト構造の是正=内外価格差の解消(→デフレ)が必要とする見方が強まっていました。変動為替相場制では円安が解決策のはずなのですが。

*4:通貨高→デフレ→マネタリーベースとマネーストックの伸び率乖離