「無敵の人」が増加する脅威
数年前に、秋葉原やマツダ本社工場の無差別殺傷事件*1などについて、知人と話したことがあります。
これらの事件の共通項は、いわゆる「負け組の男」が犯人であることです。その時の会話では、犯行に至る心理を、
- 犯人にとっては生きていくことそのものが苦痛。
- 苦痛から逃れるために死を願うようになる。
- 「一方的敗者」として死ぬことが悔しいため、自分を苦しめた「敵」に一太刀浴びせてから死にたい、と考える。
- しかし、敵は「社会」という漠然としたものであるため、代わりに「社会でうまくいっている人々」を敵と(無理やり認識)して攻撃する。
ではないかと分析しましたが、「黒子のバスケ」事件の犯人の告白がその分析と合致することに驚いています。
Yahoo!ニュースで記事を公開しました。
— 創出版 (@tsukuru_shuppan) March 15, 2014
「黒子のバスケ」脅迫事件の被告人意見陳述全文公開1(篠田博之)- Yahoo!ニュースhttp://t.co/9DWHXrYVA3
動機について申し上げます。一連の事件を起こす以前から、自分の人生は汚くて醜くて無惨であると感じていました。それは挽回の可能性が全くないとも認識していました。そして自殺という手段をもって社会から退場したいと思っていました。痛みに苦しむ回復の見込みのない病人を苦痛から解放させるために死なせることを安楽死と言います。自分に当てはめますと、人生の駄目さに苦しみ挽回する見込みのない負け組の底辺が、苦痛から解放されたくて自殺しようとしていたというのが、適切な説明かと思います。自分はこれを「社会的安楽死」と命名していました。
ですから、黙って自分一人で勝手に自殺しておくべきだったのです。その決行を考えている時期に供述調書にある自分が「手に入れたくて手に入れられなかったもの」を全て持っている「黒子のバスケ」の作者の藤巻忠俊氏のことを知り、人生があまりに違い過ぎると愕然とし、この巨大な相手にせめてもの一太刀を浴びせてやりたいと思ってしまったのです。自分はこの事件の犯罪類型を「人生格差犯罪」と命名していました。(強調は引用者、以下同。)
自分は人生の行き詰まりがいよいよ明確化した年齢になって、自分に対して理不尽な罰を科した「何か」に復讐を遂げて、その後に自分の人生を終わらせたいと無意識に考えていたのです。ただ「何か」の正体が見当もつかず、仕方なく自殺だけをしようと考えていた時に、その「何か」の代わりになるものが見つかってしまったのです。それが「黒子のバスケ」の作者の藤巻氏だったのです。
知人は、「“負け組”を減らす政策を採らなければ、“社会への報復型犯罪”増加は避けられないのでは」と危惧していましたが、この犯人も同様の警告をしています。
Yahoo!ニュースで記事を公開しました。
— 創出版 (@tsukuru_shuppan) March 15, 2014
「黒子のバスケ」脅迫事件の被告人意見陳述全文公開2(篠田博之)- Yahoo!ニュースhttp://t.co/EJ3syirEFD
そして死にたいのですから、命も惜しくないし、死刑は大歓迎です。自分のように人間関係も社会的地位もなく、失うものが何もないから罪を犯すことに心理的抵抗のない人間を「無敵の人」とネットスラングでは表現します。これからの日本社会はこの「無敵の人」が増えこそすれ減りはしません。日本社会はこの「無敵の人」とどう向き合うべきかを真剣に考えるべきです。
これに加えて危惧されるのは、「子供のいない独身者」が今後増加していくことです。子供のいる人の場合、「子や孫のため」という意識が、無謀な破壊的行動(環境破壊など)への抑止力として働きますが、子供がいない人にとっては「自分が死ねば世界も終わる→思い残すことはない」も同然であり、抑止力が弱まる(働かない)ことが避けられません。このような人は、将来への希望が失われた時点で「無敵の人」になる可能性が高く、社会の安定・結束にとって脅威です。
【先進国を立ち枯れさせる「若者が成長できない症候群」】では、先進国が自己破壊的な経済政策を採っていることを指摘しましたが、その政策は、「負け組」や結婚できない若者を増やすものとも言えます。
将来に向けて「無敵の人」を量産し続ける経済社会システムを軌道修正しない限り、明るい未来像は描けそうにありません。

- 作者: 山田昌弘
- 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
- 発売日: 2014/01/21
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログ (7件) を見る
日本に跋扈する「無敵の人」 失うものがない強さと無差別犯罪 http://t.co/3aQcYzTml1
— 朝日新聞徳島総局 (@asahi_awa) May 24, 2014
中国で切りつけ事件が連続発生 貧困層の不満が噴出し街中は異常事態 - ZAK×SPA! - ZAKZAK http://t.co/JSEsA5ztOZ @zakdesk
— zakzak (@zakdesk) June 13, 2014
追記
他人を羨んだ「無職43歳男」も、希望を失った「無敵の人」だったのでしょうか。
「うらやましくて」と供述 函館の親子はねた暴走事件 http://t.co/mFdxyQoYwe
— 朝日新聞(asahi shimbun) (@asahi) April 13, 2015
アメリカでも。強調した引用文に注目してください。
銃乱射、容疑者は同校学生 現場に手紙、自分を「敗者」 http://t.co/GfB7jfe7b4
— 朝日新聞(asahi shimbun) (@asahi) October 3, 2015
ガールフレンドがいないことを苦にし、全てがうまくいかないと嘆き、自分の運命を嫌う内容が書かれていたという。
Neighbors remember the Umpqua Community College gunman as a fragile young man http://t.co/XDnRQldWPi
— The New York Times (@nytimes) October 2, 2015
“I have noticed that people like him are all alone and unknown, yet when they spill a little blood, the whole world knows who they are.”
The entry continues, “Seems the more people you kill, the more you’re in the limelight.”
“People like him have nothing left to live for, and the only thing left to do is lash out at a society that has abandoned them,” the user wrote days after the Roanoke shooting.