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Think outside the box

MAKE JAPAN GREAT AGAIN

『賃上げはなぜ必要か』が明かす日本の閉塞の構造

バブル崩壊後、日本経済の閉塞状況を打破するために、様々な「改革」が実行されたものの、むしろ閉塞感は強まる一方に思えます。

実務能力の乏しい革命政権が、机上の空論に基づく急進的「改造」を実行しようとして、経済社会を混乱に陥れることは珍しくありませんが、日本の諸改革も同様のものだったのではないか、という疑いが生じます。

この疑いを裏付けてくれるのが、以前にも紹介した脇田成の新著です。

個別企業にとってみれば、一社だけが賃上げをしても得るものは少ない。企業経営が不安定となっていき、経営者ばかりか、内部で出世するしかない幹部にとっても得策でない。しかしマクロ経済全体ではどうだろうか。家計の所得が上昇すれば、消費支出は増大し、必ず内需は盛り上がる。つまり個別の細かな行動の総和が大きなマクロ的なうねりをもたらすのである。

日本経済においても、少子化を放置し企業貯蓄増大を許容するならば、それは滅びの美学に酔った自殺行為と言わざるを得ないのである。

賃上げはなぜ必要か: 日本経済の誤謬 (筑摩選書)

賃上げはなぜ必要か: 日本経済の誤謬 (筑摩選書)

[p.372]

将来を悲観してヒステリックになる必要はなく、企業の余剰資金を家計に返して需要不足を解消し、粛々と少子化対策を打っていけばよいのです。

一部に誤り*1や記述ミス*2はありますが、全体の主張は極めて納得できるものです。これまでの経済政策に反発や違和感を感じる人が理論武装するための必読書と言ってもよいでしょう。

特に、専門の労働市場に関する分析は、「正社員の既得権を打破せよ」などといった浅薄な主張とは一線を画します。(第3章 ミドルの不満と閉塞の構造)

[p.140]

長期雇用や年功賃金の慣行はすでに経験を積んだ労働者の「事後」的な非難の的になっていることが多いわけですが、見方をかえて、これから就職しキャリアや熟練形成に不安をもつ大学生の「事前」の立場でみれば、悪平等は技術習得・熟練形成に関する不安への「保険」となっているわけです。

[p.145]

全面的に既得権の排除というスローガンで保険をなくすことは、長期的な熟練形成を阻害し、時間をかけて努力しても報われない社会を作る可能性すらあります。

保険は、「万が一の大損失」に備えるものであるため、結果的に損失を蒙らなかった人は、「無意味だった→保険など不要」と考えてしまいがちです。しかし、それではオバマケア以前のアメリカの医療保険のようなもので、社会全体での損失と非効率をもたらします。「雇用の安定」がなければ、人生設計が描けない人が続出し、経済社会に閉塞感が充満することは当然でしょう。

日本経済の根本問題である、企業の資金余剰についても詳しく分析しています。1998年の金融危機後、企業が防衛行動として純資産の積み増しに励んだ結果、経済全体では、雇用者報酬抑制→家計消費抑制→設備投資抑制の「合成の誤謬」が生じているということです。(第4章 要塞化する日本企業)

非金融法人企業は1998年度以降、資金余剰を続けており、純負債は激減しています。

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「不景気のために企業には賃上げ余力がない」という誤解が蔓延しているようですが、人件費に対する経常利益の比率は、バブル期並みの高水準にあります。裏を返せば、企業部門全体では人件費が過少ということです。

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経常利益から10兆円を人件費に回しても、人件費に対する経常利益は十分な水準を維持できます。GDPの約2%の雇用者報酬増加は、家計消費増→設備投資増の好循環の切っ掛けとなり得ます。

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[p.230]

10兆円の賃上げは大きなマクロ効果を持ちますが、企業貯蓄に回れば自己資本比率を0.5%上昇させるに過ぎません。

エマニュエル・トッドが指摘する日本の最大の問題・少子化についても分析されています。(第6章 少子化と家庭の変容) 

[p.351]

少子化をそのまま受け入れるという意見が政府内やビジネス界では優勢であり、グローバル化という美名のもとに一部のエリートだけが生き残ることを促進するかのような政策が取られてきました。それは必勝の信念ならぬ必敗の信念であり、社会的な「死の強制」のように筆者には思われます。<略>さらに日本の死が「安楽」であればまだいいかもしれませんが、実際には苦しみ抜いて衰えていくことになるのではないでしょうか。

[p.355]

子どもへの投資は未来への投資であり、長期的な経済活性化に最も有効なものです。

企業や政府が、長期的帰結や波及効果を考えず、自己のキャッシュフロー改善にひたすら突き進む傾向が強まった結果、企業の資金余剰や少子化などの死活的な構造問題が放置され、衰弱が進んでいくということでしょう。*3

[p.373]

筆者が本書で述べてきたようなことは、エリートビジネスマンの個人的短期的インセンティブに反し、現状の風潮では歓迎されないかもしれません。しかしそれだからこそ、多くの人々が本書で提示した解決策に違和感を持つからこそ、本来なされるべき政策がなされなかった、その結果、現状は「立ちすくんだ」ままだといえます。

『賃上げはなぜ必要か』が難しく感じる人には、下の本がお勧めです。

「無税国債」など、疑問点は多くありますが、企業や一握りの富裕層に資金が集中する構造から、経済全体に資金が行き渡る構造への構造改革が必要、という主旨には賛成できるのではないでしょうか。

[p.197]

企業を優遇すれば、目先の経済指標は上向く。しかし、国民生活をなおざりにするような国は、長い目で見れば確実に国力を失っていくのである。決して多くない子供の教育さえままならない今の日本では、近い将来、国際競争力を失っていくのは火を見るより明らかである。

日本全体での資金不足ではなく、資金の偏在こそ閉塞の原因であることの認識が必要です。

*1:貨幣乗数「銀行は預金を貸出に回している」など。

*2:たとえば、P224~の、固定資本減耗を含むか含まないかに関する説明。

*3:セクショナリズムが日本を覆い尽くしたとも言えるでしょう。