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Think outside the box

MAKE JAPAN GREAT AGAIN

「虚力」の時代?

例の記者会見の記事を見て、『国際メディア情報戦』を思い出しました。

   質疑応答では理研に対する批判を誘導しようとする質問も相次いだが、小保方氏は、ことごとくかわしてみせた。

理研に裏切られたという気持ちはないのか」

という問いには10秒以上沈黙し、

「そのような気持ちは持つべきではないと思っている」

と声を絞りだした。

上の引用部は動画の2時間11分~


【全編動画】STAP細胞問題で小保方晴子氏が会見

[p.36]

シライジッチ外相には私も会ってインタビューしたが、天性のナルシストである。彼のそれまでの人生ではありえなかった国際メガメディアとの会見やインタビューの対象となることを楽しんでおり、「セレブ」になっていく自分に酔っているところがあった。

[p.37]

生放送でスタジオのアンカーと中継を通じて対峙する場合は、当然編集をされることはない。その駆け引きにはまた違った技術がある。シライジッチの場合、それは「間」の取り方だった。

「もし、キャスターの質問に常に当意即妙で答えてしまえば、私が頭が良すぎる人間であるか、事前に答えを用意していたのだ、という印象を与えることになります。それでは、効果は半減してしまいます」とシライジッチは自慢げに語っている

「国際」に限らず、様々な分野で、真実追求よりも、「メディア情報戦」の価値が高まっているように思えます。

一般社会における「実力」は、サイエンスの世界のように実証することが困難です。そのため、能力が優れるほど、それを評価して引き上げてくれる人が減少する恐れがあります。逆に、ほどほどの能力の方が、多くの人に理解可能なので、評価・抜擢される可能性も高まります。そこに、「コミュニケーション力」の発揮余地があります。組織における「コミュ力」「人柄」の効力・重要性は、現代日本に限ったことではありませんが。

立身出世の社会史

立身出世の社会史

小田嶋隆は「実力」「虚力」という言葉で表現しています。

もしかして、わが国の職場は、虚力が評価される場所に変貌しつつあるのだろうか。

だとしたら、それは、大変に危うい事態であると申し上げなければならない。

ともあれ、21世紀のわが国は、「虚力」への憧れが顕在化した社会になっている。

このことは、言葉を換えて言えば、仕事の実力とは別の能力で世の中を楽に渡って行きたいと願う人間が増えているということだ。

実力よりも虚力が評価される社会は、結果的にはソ連のような、革新が阻害された停滞社会に陥る危険性があるように思えます。

最後の転落 〔ソ連崩壊のシナリオ〕

最後の転落 〔ソ連崩壊のシナリオ〕

凡庸な者がソヴィエトの様々なヒエラルキーの頂点に頭角を現すのも、当然のことなのだ。知力に優れた者は規律と組織の長への服従とに嫌気がさしてやる気を失ってしまうからである。

 

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おまけ 

「虚力」への憧れとリテラシーの欠如には通じるところがあるようです。

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