Think outside the box

MAKE JAPAN GREAT AGAIN

クルーグマンの"Rethinking Japan"再考

先日の記事(↓)で言及したクルーグマンのモデルについて再考します。*1

totb.hatenablog.com

クルーグマンは先月のNYTのコラム"Rethinking Japan"で、

http://krugman.blogs.nytimes.com/2015/10/20/rethinking-japan/

Hey, it was one of my best papers; and it has held up pretty well in many respects.

と、1998年に発表した論文が「ベストの一つ」と自画自賛しています。当時と現在の変更点は、実質金利を十分に引き下げるために必要なインフレ率が高まったこと、そしてその実現に必要な財政・金融の刺激の規模が増大したことです。たとえるなら、診断と治療法は正しかったが、病状が悪化したために、投薬量を大幅に増やす必要が生じた、というようなものです。

その診断は、「マネタリーベースが増えると物価は必ず上がる」、あるいは「マネタリーベース→マネーサプライ→物価」の比例的関係が成立しているというモデルに基づいています。

http://cruel.org/krugman/krugback.pdf

マクロ経済学でみんなが同意する命題が一つあるとすれば、それは金融拡大が価格ではなく産出に反映されるのに価格の硬直性が果たす役割もさることながら、マネーサプライが増えると均衡価格が上がるという命題だからだ。まさにふつうの見方は、マネーはおおむね中立的だ、というものだ――マネーサプライが増えると、一般価格水準もほぼそれと同じ割合で増大する。あるいはもっと厳密に言えば、外部(outside)のお金――つまりmonetary base――が増えると価格は必ず上がる*2

マネー(つまりはoutsideのマネー)は無条件でなにがなんでも中立のはず、なんだ。

しかし、金利がほぼゼロの現状では、中央銀行資金供給しても、銀行はリザーブ、家計はキャッシュとして貯め込んでしまうので、「マネタリーベース→マネーサプライ」の比例的関係が途切れてしまい、マネタリーベース増加がインフレに結びつかなくなるわけです。

流動性トラップは、名目金利がゼロまたはゼロ近くになったために、伝統的な金融政策が不能になった状態だ。こうなると、経済にmonetary baseを注入しても効果はない。ベースマネーと債券は、民間セクターから見ると完全な代替物と見なされるようになるからだ。

9月のコラムも同趣旨です。平常時には中央銀行から供給された資金を銀行が貸し出すことで「連鎖反応」が生じ、実体経済を刺激するというメカニズムです。

http://www.nytimes.com/2015/09/11/opinion/paul-krugman-japans-economy-crippled-by-caution.html

When central banks like the Federal Reserve or the Bank of Japan print money, they generally use it to buy government debt. In normal times this starts a chain reaction in the financial system: The sellers of that government debt don’t want to sit on idle cash, so they lend it out, stimulating spending and boosting the real economy.

中央銀行から供給された資金を銀行が貸し出す→貸し出された資金の一部が預金となって還流する→その預金の一部を再貸出しする→その預金の一部が還流する→…のプロセスを「連鎖反応」と表現しています。 

http://www.nytimes.com/2015/09/21/opinion/paul-krugman-the-rage-of-the-bankers.html

For banks make their profits by taking in deposits and lending the funds out at a higher rate of interest.

金利がゼロ近辺にまで低下した現状は、いわば制御棒が入ったために原子炉内の核分裂の連鎖反応が止まっているようなものです。大規模な財政・金融の刺激を加えれば、制御棒が引き抜かれた原子炉のように、マネーの「連鎖反応」が生じて日本経済は「再臨界」に達し、停滞を脱するというモデルです。

このモデルを日本以上に金利が低下しているスイスに適用してみます。

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スイスのマネタリーベース(MB)は激増していますが、マネーサプライ(M3)の伸び率はそれほど上昇していません。

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そのため、M3/MB(いわゆる貨幣乗数)は14から2に急低下しています。

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イメージとしてはこうなります。

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ここで、SNBの「将来もマネタリーベースを減らさない(taperingしない)」という宣言が信用されれば、「将来のマネーサプライと物価は7倍になる」という予想が広がるはずです。

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「将来の物価が7倍になる」という予想は、必然的に現在のインフレ率を大幅に高めることになります。これが実質金利を大きく引き下げ、景気を回復させるという筋書きです。

ところが、このモデルが現実離れしていることが、中央銀行関係者から指摘されています。その代表がイングランド銀行の"Money creation in the modern economy"ですが、今回はECBのarticleからの引用です。

https://www.ecb.europa.eu/pub/pdf/other/art1_mb201110en_pp63-79en.pdf 

教科書的な貨幣乗数フレームワークは現実とは異なると説明しています。

Money supply originates in the behaviour of the central bank and banks. A common distinction made in this respect is the supply of “outside money” provided by the central bank – consisting of banknotes and banks’ reserves with the central bank – and “inside money” created by banks, consisting mainly of deposits.

The money multiplier framework has a long and distinguished pedigree in the literature. Multiplier analysis is based on the assumption that the central bank unilaterally sets the level of the monetary base, i.e. the monetary base is the instrument of monetary policy. The money multiplier then determines the supply of broad money, while short-term interest rates adjust in order to establish equilibrium between money demand and money supply. Clearly, this account contrasts with the way in which monetary policy is, in general, implemented in practice. In fact, as noted in the main text of this article, central banks set an official interest rate and then supply the volume of reserves necessary in order to steer short-term market interest rates close to the official interest rate.

マネーサプライの大部分は銀行が供給する預金で構成され、預金の創造は様々な要因に影響されます。「マネタリーベースを追加供給すれば、連鎖反応によって貨幣乗数倍のマネーサプライが供給される」は現実離れしたモデルということです。

Banks’ liquid deposit liabilities constitute the core of broad monetary aggregates, and banks thus play a leading role in the supply of broad money. Changes in banks’ behaviour will alter the money supply. 

A wide range of determinants affecting banks’ intermediation activity has been identified in the literature, such as banks’ risk aversion, borrowers' creditworthiness, the regulatory framework, the availability of capital buffers and the spread between lending rates and funding costs, known as the “intermediation spread”.

日本銀行OBの横山は

そもそも、

「銀行券流入にせよ(その事実誤認はすでに論難済み)、オペなどによる準備預金追加注入にせよ、いわゆるベースマネーを増やせば、それが始発点・原資となって、その信用乗数倍のマネーストックが追加供給される」

という論理構成そのものが間違っているのである。そういう理屈も存在しないし、事実にも反する。

と断じています。

クルーグマンは「診断と治療法は正しいが、病状が進行していたために、これまでの投薬量では不十分だった」「投薬量をさらに増やせば治療は成功する」と言いたいようですが、そもそも診断の基になっていたモデルに問題があったわけです。

なお、クルーグマンは"Rethinking Japan"で

The only way to be at all sure of raising inflation is to accompany a changed monetary regime with a burst of fiscal stimulus.

What Japan needs (and the rest of us may well be following the same path) is really aggressive policy, using fiscal and monetary policy to boost inflation, and setting the target high enough that it’s sustainable. It needs to hit escape velocity.

と、大規模な財政・金融政策の必要性を説いていますが、これはオーソドックスな「大規模な財政出動&"accommodative"な金融政策」であり、「金融政策のレジームチェンジによって“期待”を変えることがキモ」といういわゆるリフレ政策とは全く別物です。

世界に分断と対立を撒き散らす経済の罠

世界に分断と対立を撒き散らす経済の罠

アメリカが大恐慌から抜け出しはじめたのは、世界戦争にそなえるべく、政府の支出がうなぎ上りになってからだった。わたしたちは単純明快な真実を把握する必要がある。回復をもたらしたのは政府の財政出動だ。金融政策の修正でもなく、銀行制度の復活でもなく、ケインズ主義的な景気刺激策なのだ。

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1998年の論文から17年の回り道を経て、ようやく単純明快な「ケインズ主義的な景気刺激策」にたどり着いたようです。

jp.reuters.com

おまけ

クルーグマン

  1. 自分のモデルはトービンと同じ
  2. イングランド銀行のモデルもトービンと同じ
  3. 自分のモデルはイングランド銀行の解説と矛盾しない

と主張したいようです。

http://krugman.blogs.nytimes.com/2014/04/28/a-monetary-puzzle/ 

But it doesn’t seem, in any important way, to be at odds with what Tobin wrote 50 years ago (pdf) — indeed, the BoE paper cites Tobin extensively. And I have always thought of money in Tobinesque terms, even if I sometimes use shorthand descriptions that can be misread if you take them out of context; the same is true of many economists.

しかし、クルーグマンがリンクを貼っているトービンのペーパーでは、 

But the textbook description of multiple expansion of credit and deposits on a given reserve base is misleading even for regime of reserve requirements.

An individual bank is not constrained by any fixed quantum of reserves. It can obtain additional reserves to meet requirements by borrowing from the Federal Reserve, by buying “Federal Funds” from other banks, by selling or “running off” short term securities. In short, reserves are available at the discount window and in the money market, at a price.

となっています。どう見ても、クルーグマンのモデルとは別物です。

クルーグマンを鵜呑みにするのはnaïve過ぎるでしょう。

クルーグマンの「前科」については下の記事も参考に。

The Keen/Krugman Debate: A Summary | Unlearning Economics

*1:以前の記事と重複する箇所が多いです。

*2:強調は引用者、以下同。