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財政赤字は無問題~ファウストと子守協同組合

『富国と強兵』の著者・中野剛志の主張について考察します。

toyokeizai.net 

・・・そもそも日本政府は財政を健全化する必要などないからだ。政府が今やるべきことは財政赤字の拡大なのであって、とりあえず、財源など気にする必要はない」

これを暴論と感じるのは、マクロ経済、財政そして通貨の本質を正確に理解していないからなのである。どれだけ通説や常識に反していようと、これこそが正解なのである。

まずはリフレ派が金融政策の有効性を主張する際によく用いた「子守協同組合」のモデルです。

Krugman: Baby Sitting the Economy

あるいは、グリーンスパンの対応が遅くて、経済がホントに不況に陥ったとしよう。あわてちゃいけない。クーポン発行主任がちょっと出遅れたたって、クーポンを大量発行することで、ごくふつうに状況を改善できる――つまり、1981--82 年や 1990--91 年の不景気を終わらせた、精力的な金融拡大策を打てばいい。だから言ったでしょう。この子守り協同組合のお話のおかげで、ぼくは陰気な(経済の)停滞期にも希望を失わずにいられるって。

このクルーグマンの説明が不適切なのは、実体経済活動に用いられるクーポンは銀行預金であり、中央銀行が発行するクーポン(日本では日銀当座預金)ではないことです。中央銀行がクーポンを大量発行しても超過準備が積み上がるだけで消費者の手元には届きません。

通常、中央銀行は利下げによって「銀行が貸しやすくなる&企業や家計が借りやすくなる」状態を作ることで間接的に銀行預金をコントロールしますが、1990年代後半以降の日本では、企業や家計の借入意欲が大幅に減退しているため、金融政策では銀行預金を十分に増やせません。

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そこで参考になるのが、ゲーテの『ファウスト』第二部で描かれている、国家が紙幣を発行して財政難と不景気を一挙に解決するエピソードです。

金(かね)と魔術―『ファウスト』と近代経済 (叢書・ウニベルシタス)

金(かね)と魔術―『ファウスト』と近代経済 (叢書・ウニベルシタス)

ファウスト錬金術的プロセスの出発点は紙幣をつくる計画である。この計画は、メフィストーフェレスというよりもむしろファウストが皇帝に提案し、皇帝を金づまりから救い出そうというものである。それは地中に埋蔵された金銀財宝を「担保」とし、そしてまた皇帝の署名によって合法化される紙幣の発行の計画である。この計画は成功する。すなわち、誰もが紙幣・・・を貨幣として喜んで受けとり、そして皇帝は借金から解放されるのである。*1

これは荻原重秀の「貨幣は国家が造る所、瓦礫を以ってこれに代えるといえども、まさに行うべし」と同じ認識です。

勘定奉行荻原重秀の生涯―新井白石が嫉妬した天才経済官僚 (集英社新書)

勘定奉行荻原重秀の生涯―新井白石が嫉妬した天才経済官僚 (集英社新書)

参考にイングランド銀行のマネーの解説です。 

Money in the modern economy: an introduction

Money is a social institution that provides a solution to the problem of a lack of trust. It is useful in exchange because it is a special kind of IOU: in particular, money in the modern economy is an IOU that everyone in the economy trusts. Because everyone trusts in money, they are happy to accept it in exchange for goods and services — it can become universally acceptable as the medium of exchange.

ゲーテや荻原の時代と現代の違いは、市中で用いられるマネーの主体が金貨・銀貨・紙幣などの現金(currency)から銀行預金(bank deposits)に、発行体が政府から銀行に交代していることです。そのため、ファウストと本質的に同じプロセスは「国債発行→銀行が購入→政府が財政支出→銀行預金増加」になります。

実際、過去十数年のマネーストック増加の大部分は国債残高の増加によるものです。

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国債発行による銀行預金増加が本質的に政府紙幣の発行と同じとすると、子守協同組合のモデルは金融政策ではなく「精力的な財政拡大策」の有効性を示すものになります。協同組合が政府、クーポンが政府紙幣国債)です。

このモデルにおいてクーポンは協同組合の「負債」ですが、クーポン発行量が増えても子守の市場が過熱するだけで、協同組合がデフォルトするわけではありません。同様に、国債残高が増えても、錬金術的プロセスによってマネーを調達できる政府がデフォルトすることはありません。錬金術的プロセスの破綻とは、不換紙幣版の「取り付け騒ぎ」、すなわち紙幣から実物への逃避(→ハイパーインフレ)の発生ですが、これは逆に、インフレが亢進する寸前までは国債の増発余地があることを意味します。*2

インフレ率と長期金利の低迷と名目GDPの拡大停止は、1990年代末から国債発行が過少であったことを示しています。

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日本銀行には経済成長に応じて銀行券を供給する「成長通貨論」がありますが、「通貨」に銀行預金も含めると、国債出し惜しみによる成長通貨不足が日本経済の成長を止めていたことになります。拒食症の人が肥満を警戒して食事制限するようなものです。

結局のところ、200年近く前に天才ゲーテが理解していたことを現代日本の劣化エリートは理解できず、20年をむざむざ失ったのです。このままでは衰弱死するまで失い続けるでしょう。

貨幣が多く経済に流れ込んでくればくるだけ、また物がいっそう多く貨幣価値に変換され、したがって物が貨幣領域へと引き上げられて行けば行くだけ、価値の創造がそれだけいっそう大きくなってくる。この意味において、人間は実際に造物主〔デミウルゴス〕の能力をもっている。貨幣は人間がみずから造るものである。すなわち貨幣は自然が造ったものではない。したがって、人間は貨幣や貨幣の価値を「増やす」こともできるわけである。

totb.hatenablog.com

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おまけ

クルーグマンは2012年の著書で

FRBは――子守り協同組合の理事会とはちがって――家族にクーポンを配ったりはしない。お金の供給を増やしたいときには、基本的にはその資金を銀行に貸して、銀行がそのお金を一般に貸し出してくれるものと期待している。

と、銀行は中央銀行から供給された資金(reserves)を又貸しすると解説していましたが、イングランド銀行が"misconception"と指摘するように、これは誤りです。

A related misconception is that banks can lend out their reserves. Reserves can only be lent between banks, since consumers do not have access to reserves accounts at the Bank of England.

クルーグマンを過信しないことです。

*1:下線は引用者、以下同。

*2:景気が過熱すれば増税してクーポンを回収。